退社問題

大学を卒業できないまま…もう43年前の話ですが、早稲田大学教育学部教育学科体育学専修を2単位不足して卒業できませんでした。卒業は当該年の9月でいわゆる半年留年でした。

当然一般的な就職をすることなくその当時流行していたボウリング場に勤めてプロボウラーを目指しました。

これが始めての就職で、プロテスト直前にボウリングのボールを磨いていて誤って左足の親指の上に落としてしまい骨折!

次はゴルフのプロショップをやろうとしてゴルフ場に就職、毎日営業前と営業後に研修生とコースを回りゴルフを覚えました。

その間に父親が亡くなり、父の葬式に妹が勤めていた旧ピープル(現コナミスポーツ)の上司が会葬に来られ、ピープルへの就職を勧められそのまま就職!

これが三回目の転職で、親会社の旧ニチイ(マイカルに改称、現イオン)のパラダイムの中で9種、9業種の仕事をさせて頂き今日のビジネスマンとしての礎を作りました。

9番目の仕事が再びピープルへ戻ると言うものでした。

そのマイカル時代のなかでも26歳のときにアメリカの『アスリートフット』というスポーツシューズの専門店を立ち上げるという仕事を今でも師匠としてお付き合いさせて頂いている(現在弊社の監査役)真田幸昌氏とさせて頂きました。

その真田さんの教えを今も良く覚えています。

二人でアスリートフットをスタートさせる時に

「米澤、いつまでも俺と一緒に仕事ができるとは考えるな!何時か別れるときがある。その時、どんな別れ方をするかが問題だ。会社も同じ、何時か離れるときが必ず来る。その時、どんな離れ方をするかそれが問題だ。何時でも会える、何時でもその会社に行ける。そんな別れ方、そんな離れ方が大事だ!」

と言われたことです。

コナミスポーツを離れてヘッドハンティングの会社の紹介でNASの役員を8ヶ月、その後独立して今の会社を立ち上げてからも当事者ではなく、経営者の立場でこの10有余年間を見たとき、弊社を去った人は数多くいますが何人がまた気軽に会社を尋ねてくれる辞めかたをしたかの視点でみるとその後の生き方に興味をそそられます。

逆な見方をすると会社は平気で退社した人を迎えられる会社で無ければいけないということかもしれません。

因みにNASには何度もお伺いしましたが、コナミスポーツには一回も行ったことがありません!

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